イタリアを代表するカンツォーネの祭典、サンレモ音楽祭

1951年から今に至り続けられているイタリアポピュラーの一大音楽祭典。

青い空、そしてずっと続くイタリア語ではコスタ・アッズーロ( フランス語:コート・ダジュール)の青い海岸線。
そこにはモナコ王国やフランスの避暑地ニースなどの有名な街々が海岸線を彩ります。
ちなみにニースはニッツァと言ってイタリア領だった時代があり、イタリア統一を果たしたジュゼッペ・ガリバルディはこのニッツァ出身でした。
彼は1815年サルデーニャ王国によりフランスにニッツァを割譲した時にかなり激怒して、その後もイタリアによるリソルジメントで「失地回復」活動の地となりましたが、未だにフランス領のままでいます!
そんな有名な海岸沿いにありフランス領に近い街の一つに、これまた避暑地で有名なサンレモがあります。
ん?サンレモってあのカンツォーネの祭典「フェスティバル・ディ・サンレモ」で昔から有名な街でしょう? って、その通りです。

 

そのまた昔、サンレモ音楽祭全盛の頃には伊東ゆかりさんもゲストで出演されたことがあったと聞いています。
しかし、この音楽祭も経済状態から開催が危うくなくなってしまうのではないかという危機を何度も経験してきました。今年は開催されるのかされないのかと毎年話題に昇りますが、どうにか今年も開催され、今に至っているようです。
昔のサンレモ音楽祭は、一つのカンツォーネを男性、女性の二人の歌手が歌って採点されていた時期もありました。
イタリアの普遍な愛の歌のメロディーは、それぞれの国の言葉に訳され、歌詞を付けられて世界中に広がりました。プレスリーの「この胸のときめき」、トム・ジョーンズの「ラヴ・ミー・トゥナイト」は元々サンレモ音楽祭で歌われたカンツォーネをアメリカナイズした歌で、世界中の大ヒットとなった曲ですね。
ちょっと近年では、サラ・ブライトマンとアンドレア・ボチェッリで有名な「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」は、元々ボチェッリのサンレモデビュー曲でしたが、当時はまだリリカ( オペラ)・ポップ歌手に馴染みもなく、また彼は目が不自由でしたので、なかなか受け入れられなかったのかも知れません。

 

そこで、リリカ・ポップ歌手として既に世界中に名が知られていたブライトマンの力を借りてこの曲をドゥエットとして世に再デビューさせてブレイクしました。
そのあと再びボチエッリ一人の曲として世に出してヒットして、今では押しも押されぬイタリアカンツォーネ界の重鎮として現在でも曲を出しています。
彼は、リリカ・ポップ歌手としてデビューしましたが、途中で三大テノールの一人、オペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティの弟子となって、オペラ公演にも出演しているのですね。
そして、昨年は有名なリリカ・ポップグループ「イル・ディーヴォ」にあやかってか?
三人グループでリリカ・ポップ歌手グループとして小さい頃から歌っていた「イル・ヴォーロ」が「グランデ・アモーレ( 大きな愛)」で優勝しブレイク、イタリアのアイドルグループになっています。
彼らは昔懐かしい、多分現代の若者は全く知らないおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん時代のカンツォーネをリヴァイヴァルさせて歌っていることが多く、そのことからも多くの層に支持されかつてない国民的な存在になりつつあります。
今年はアメリカ、南アメリカ、ヨーロッパツアーで7月にならないとイタリアには帰国出来ないくらいの勢いがあります。日本にもそう遠くない日に必ず来ると思います。その時には是非聴いてみてくださいね。
彼らの出現は、現在日本のシャンソニエなどで昔のシャンソンやカンツォーネを歌っている歌手たちにとっては、願ったり叶ったりです。イタリア人でさえ知らない昔のカンツォーネばかりを歌っているのが、現代のイタリアの若者でさえ知っている曲に再びなったのですから、堂々と歌えますね、笑。

 

今年のサンレモ音楽祭は、「アリストン劇場」で2月9日から13日まで開催されました。昨年は二十歳そこそこの若者グループ「イル・ヴォーロ」が優勝しましたが、どこかの国のように年齢を重ねた歌手たちはこういう祭典から「卒業」するのが当たり前な国とは違い、なんと今年の優勝曲はロマンスグレイのグループ「リ・スターディオ」が歌う「Un giorno mi dirai( いつか私に君は言うだろう)」という自分の娘に言う歌詞がジーンと胸に刺さって来る大人の歌が優勝しました。
それはいわゆる声をパーンと張ったイタリア的な声?ではなく、ちょっとかすれ声でしゃべるように歌い、サビで盛り上がるという曲です。
若者の部の優勝は、フランチェスコ・ガッバーニの今風なちょっとラップな感じだけどやっぱりカンツォーネな感じの「Amen( アーメン)」。でした。
優勝した彼らは、優勝をアナウンスされたと同時にうっすらと目が潤み、泣きそうな顔で「信じられない。この音楽祭をずっと愛し、憎んでいました。毎年のようにずっと前からサンレモ音楽祭に出場して最終審査まで来るけど、一回も賞を取ったことなんかなくて、全く優勝なんて考えたことなんかなかった。」と喜びの言葉を述べていました。感動です。もう一つ感動のシーンがありました。それはエツィオ・ボッソです。彼は小児まひか何かで車いすで身体を動かすのもしゃべるのも不自由な作曲家でありピアニストです。
今回ゲスト出演者として登場しました。司会者にインタビューされると彼は流暢には全くしゃべれない口調でしたが、しっかりと自分の人生を振り替えつつも、人を愛し、人と共に出来る喜びが音楽であると感動の言葉を述べ、既に有名な彼の曲はいろいろな劇場で演奏されているようですが、その素敵なメロディの一部を演奏しました。
ピアノを弾く彼からは身体が不自由であることさえ忘れさせる素晴らしい演奏でした。
インタビューの間中、彼の言葉に涙がこぼれるオーケストラのヴァイオリンの女性やほかの男性陣が時折映し出され、演奏後にはアリストンの会場中が総立ちのスタンディング・オーベーションでした。これまた感動でした。

 

そしてこの季節コスタ・アッズーロの海岸線をドライブした道路の脇にいっぱいの黄色のミモザが輝くように香っていたのが懐かしい。
ミモザは女性の日に送る花…..。

ピーノ松谷

ピーノ松谷

オペラ・リリカポップ歌手・演出家

国立音楽大学卒業。 イタリア国立ミラノ・ヴェルディ音楽大学男声首席卒業。 ミラノ市立音楽院マスターコース修了。 15年に渡りイタリアに住み、ヨーロッパ中で様々なオーディションに合格し、多くのオペラやコンサートに出演。 また、イタリア国立ミラノ・ブレラ・アッカデーミア美術大学舞台美術科修了。スカラ座演目の手伝いなどもする。 在伊中、雑誌「音楽の友」海外特派委員として執筆、その他「グランドオペラ」別冊「太陽」、スカラ座来日プログラム、藤原オペラ、第一線の来日歌手プログラム等、執筆活動もする。   日本オペラ界からの招聘帰国後、昭和音楽大学、日本オペラ振興会(藤原歌劇団)オペラ歌手育成部講師、日本オペラ界の登竜門のコンクールの一つである公益財団法人江副財団リクルート奨学金声楽コンクールに五十嵐喜芳先生から審査委員として要請を受け、7年間審査委員を務める。   現在、声楽家、オペラ総合芸術舞台演出家、PICCOLA BOTTEGA DEL TEATRO(ピッコラ・ボッテーガ・デル・テアトロ)主宰・総監督、STUDIO PINO I (発声、声楽、オペラ、ポピュラー、作曲家別オペラ伴奏法・カンツォーネ、シャンソン等、語学研究所)主宰。ヨーロッパでオペラ、コンサート、近年リリカ(オペラ)・ポップ歌手としてもヨーロッパでコンサートに出演。