男が愛を表す時

男が不器用でぶっきらぼうだということを、私は父親から教わった。

私はファザコンじゃありません。
逆に、自分の恋愛対象や結婚相手を振り返ると、父と真逆な人ばかりに惹かれてきたように思います。

 

昔の日本の父親は総じて、厳格で、家族を養っていれば良しというか、何を考えてるか解らないのが「父親」みたいな、私の父ももれなくそんな感じでした。ただ、同級生の親よりも一回り年上の昭和11年生まれ。おまけに葛飾生まれの葛飾育ち、典型的な江戸っ子頑固親父だった父はまた格が別でした。

 

今は他界していますが、そういえば「ひ」と「し」を常に間違えていたなぁ、親戚のひろしお兄ちゃんは父にずっと「しろし!」と呼ばれていたなぁ、と今思い出しましたがそれは笑える思い出の方。

 

大抵の父の「在りし日の姿」は、妻や娘の話は一切聞いちゃいなくて、巨人の勝敗やらゴルフなど私達が興味無い話ばかりしていて、危険な事を回避させる以外で私と妹に興味関心があまり無かった印象が強い。私や妹がしゃべっていると煩そうにしていた父。お小遣いを貯めて何をプレゼントしても喜ばなかった父。自分の兄弟や友人と居るときは楽しそうなのに、私達と居るときはいつもむすっとしていた父。

 

唯一の愛情表現は私たちが幼かった頃、父が酔って、未だ寝ていない私たち姉妹の部屋に来て、「寝ない子はこうしてやる!」と髭を私たちの顔にすりつけるというたいそう迷惑なものだけでした。その割に、姿勢や言葉遣いや食事のマナーに異常に厳しく、私は母に、「お父さんのどこが良かったの?」と、幼いころから何度も聞いた記憶があります。

 

父親とはそんなものだと思っていたもので、小学生の同級生の家に遊びに行ったときはとても驚きました。その家のお父さんは、私の同級生を抱き上げたり、「その服似合うな!」と声をかけたり、自分の娘に対しての興味関心と愛情を私の前で隠しもしなかったからです。

 

うちの父親は愛情の薄い人なんだなぁと理解しながら大人になり、私たち姉妹はいつの間にか働き始める年齢に。あれは、妹の初給料が出た時、姉妹二人で両親を食事に招待した時の事です。新宿の夜景が見える日本料理屋を予約していたのですが、前日にまさかのキャンセルが父から入りました。その理由は、
「新宿まで行くのが面倒だから」
というもの。自分の兄弟と飲むときは嬉々として都内に出かけていくのに、娘の初任給での招待は受けられねぇーっていうのかい!と、私達姉妹まで江戸っ子おやじ化させる父はどこまでもマイウエイで、「きっと死ぬまでそうなんだろうな」と、私達はやっと父と、「仲良し親子ごっこできるかも」みたいな淡い期待をあきらめるのでした。

 

父の様子がおかしくなったのは、私が長女(チアキ)を出産してから。あんなに出不精だった父が、既に70歳だというのにフットワーク軽く、定期的にチアキに会いに私の家にやってくるようになりました。そして、「チアキ我が愛」と世界の中心で愛を叫ぶ男に、あれよあれよと変貌したのです。

 

確かに初孫は可愛いって聞くけれど、父の変わりようはまるでキツネ憑き。なんの憑依現象かと思う程オカルティックに映りましたが、父のスパークは天井知らずでした。
ある時は、
「ちーちゃんって可愛いんだよ。鼻が上に向いててとっても可愛い♪」
と、ブサカワにはしゃぐ女子高生のように。
またある時は、
「ちーちゃんに食べさせたくて美味しいご飯焚いてきちゃった♪」
と、新婚生活にはしゃぐ新妻のように。
チアキの一挙手一投足にうきゃうきゃとはしゃぐ父はまるで別人で、私たち姉妹と母は、「この人、いったい誰?」と、固まりながら目で語り合ったものです。

 

4年後、癌が再発して余命3か月の告知を受けた父ですが、その頃にはチアキへの愛情表現もターボがかり、その姿はいっぱしのラティーノでした。
「俺の残りの人生は、チアキのために生きるぜ!」
と言い放ち、
「おじいちゃんはちーちゃんを愛してるから死なない!」
と、会う度のベサメムーチョっぷり。結局、チアキパワーで3か月どころか2年以上生きて、ちあきのランドセル姿を意地で見届けて天寿を全うしました。

 

父の最後は、実家で母と私と妹で看取ったのですが、あれは息を引き取る前日だったか。

 

「俺の人生は、良い娘二人に恵まれて、本当に幸せだった。」

 

と、もう細くなった息で私達に言ってくれたのが、最初で最後の、父の私たちへの愛の言葉で、私も妹もやっと深く、父の事が最後の最後で解ったのでした。
父はずっと、私たちの前では「父親」であろうとしていたこと。親の責任を、威厳を、一身に背負っていたこと。なんの贅沢もせず真面目に働いて、私達を育ててくれたこと。それが父の、私たちへの愛情だったということを。

 

「お父さん、ありがとう。育ててくれてありがとう。」
と、言いながら、父親って、男って、なんて不器用で、なんて解り辛くて、なんて切ない生き物なんだろうと泣き笑いした記憶が未だ鮮明です。でも、父の人生の最後の6年間で、唯一やり残した事を経験するかのように、孫という心から愛する対象に無責任に愛を叫ぶことができて大満足だったのではないでしょうか?

 

私達は時に、親だから、家族だから、結婚して長いから、と理由をつけて愛を口にしなくなります。だけど、愛はとても解り辛くてなかなか思うように届かない。だからきっと、伝えた方がいいのだと思います。どれだけ、その人を愛しているのかを言葉で。
そしてそれは、伝えている側の方が、言葉にしている側の方が実は幸せなんだと、晩年の父の幸せそうな笑顔に私は教えられました。

 

人生はまだまだ長いけれど、愛する人と居られる時間は意外に短いかもしれません。
父よ!夫よ!男達よ!
もっともっとあなた達の、愛を聞かせて。

川崎貴子

川崎貴子

リントス株式会社代表取締役

リントス株式会社代表取締役。1997年に女性に特化した人材コンサルティング会社ジョヤンテを設立後、1万人を超える女性をフォローしてきた。「女性マネージメントのプロ」との異名を取る。メディア取材執筆多数。婚活結社「魔女のサバト」、共働き推奨 婚活サイト「キャリ婚」(https://carricon.jp 男性完全無料)主宰。 著書に『我がおっぱいに未練なし』(https://www.amazon.co.jp/dp/4479783997 大和書房)、『愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。』(http://www.amazon.co.jp/dp/4584136335 ベストセラーズ)、『モテと非モテの境界線 AV監督と女社長の恋愛相談』(https://www.amazon.co.jp/dp/4062729458 講談社) 、『結婚したい女子のための ハンティング・レッスン』(https://www.amazon.co.jp/dp/4862804829 総合法令出版)、『私たちが仕事をやめてはいけない57の理由』(http://www.amazon.co.jp/dp/447979493X 大和書房)、『上司の頭はまる見え。』(http://www.amazon.co.jp/dp/476319707X サンマーク出版)がある。ブログ「酒と泪と女と女」など連載も多数。12歳と5歳の娘を持つワーキングマザー。